男子フィギュア界に彗星のように現れた期待のホープ「鍵山優真」選手。
全日本ジュニア選手権で当時の世界最高得点を記録し、ポスト・宇野昌磨と言われ注目を集めてます。
フィギュアスケートは、コーチの力量や選手との相性も大切ですが、
鍵山優真選手のコーチは一体誰なんでしょうか?!
■目次
鍵山優真のコーチは父・正和氏
熱狂的なフィギュアスケートファンの方々には広く知れ渡っていることですが、
鍵山優真選手のコーチは、実の父親「鍵山正和」さん。
試合のTV中継を見ると、いつも鍵山選手の横で競技を見守るコーチ兼父親の姿が直ぐに確認できます。
どうやって、鍵山優真選手を日本トップレベルの実力者に育てあげたのか。
その手腕が気になる所ですが、、
実は、コーチ兼父親の「鍵山正和」は、元プロフィギュアスケート選手。
しかも、冬季オリンピックに2度も出場、全日本選手権優勝など数々の栄光を残した実力者。
鍵山選手本人の努力もさることながら、元日本トップレベルの経験だからできる一流の指導も受けているのでしょう。
鍵山優真のコーチ ・父鍵山正和の指導力
鍵山優真のコーチ・父鍵山正和さんは、堅実で成長過程にあった技術をしっかりと息子に伝授してきたそう。
フィギュアスケートの演技において、配点が高くや見応えのある「ジャンプ」が注目されがちですが、正和コーチは焦らない指導を徹底。
『まず安定した滑りをジュニアのうちに身につけておこう』という鍵山コーチの考えがあり、尊敬する父のアドバイスに素直に耳を傾ける息子・優真くんは、基本的なスケーティングの技術練習をみっちり行っています。
父・正和コーチからはよく「難しいことを考えるな。シンプルに」とアドバイスを受けています。
そんな日々の鍛錬で高いレベルの基礎スケーティング技術を身に着けた結果、
驚くことに、難易度の高い大技「トリプルアクセル」をたった2週間でマスターしてしまいました。
時には、息子の将来のために「鬼の指導」を行う場面があるそうですが、自宅に戻れば「優真ごめんな」と声をかけてあげるそうです。
そんな2人の二人三脚が実を結び、全日本ジュニア選手権で優勝。
鍵山優真のコーチとしてより、一人息子の頑張りとこれまでの努力が実ったことが心の底から嬉しかった様子。
『目標にしていたこの優勝を一緒にできて良かったなと思います』
と喜ぶ息子・優真の横で涙を流しながら語っていました。
それに対し、息子・優真は
『父がここまでスケートを教えてくれたことが嬉しい』
とコメント。
素敵な親子関係。ツイッターでは視聴者の感動コメントが多くありました。
鍵山優真コーチ・父鍵山正和の経歴・成績が凄すぎる
〇名前:鍵山正和 (かぎやま まさかず)
〇出身地:愛知県名古屋市
〇生年月日:1971年4月12日
〇年齢:48歳 (2020年2月現在)
〇身長:160cm
〇職業:元フィギュアスケート選手、コーチ
父・鍵山正和さんは、1980年代後半~1990年代前半の日本男子フィギュア界を背負ってきた存在。
現役時代は
〇男子フィギュア日本代表として冬季オリンピックに2度出場
〇全日本選手権3連覇 など
数々の華麗なる成績を残したトップ選手です。
ちなみに、女子フィギュアのレジェンド「伊藤みどり」選手が、ほぼ同期で名古屋にあるリンクで一緒に練習する仲だったそうです。
【日本選手権】
〇1988年 全日本ジュニア選手権 優勝
〇1989年 全日本ジュニア選手権 優勝
〇1990年 全日本シニア選手権 2位
〇1991年 全日本シニア選手権 優勝
〇1992年 全日本シニア選手権 優勝
〇1993年 全日本シニア選手権 優勝 (3連覇)
〇1994年 全日本シニア選手権 2位
【世界選手権】
〇1989年 世界ジュニア選手権 3位
〇1992年 アルベールビル五輪 13位
〇1994年 リレハンメル五輪 12位
世界選手権での最高成績は「3位」。それでも当時の日本では勿論トップレベルの成績。
日本の主要タイトルは、ほぼ「優勝」しかしてません。
特に1991年~1993年には、全日本選手権「3連覇」達成。
歴代の実力者もなかなか出せない「金字塔」を打ち立てた圧倒的な実力の持ち主でした。
ちなみに、歴代の全日本優勝者の成績一覧をコチラ↓ (2019-2020大会まで)
順位 | 名前 | 回数 |
1位 | 佐藤 信夫 | 10回 |
2位 | 本田 武史 | 6回 |
3位 | 片山 敏一 | 5回 |
〃 | 佐野 稔 | 〃 |
〃 | 有坂 隆祐 | 〃 |
〃 | 高橋 大輔 | 〃 |
7位 | 五十嵐 文男 小川 勝 羽生 結弦 宇野 昌磨 |
4回 |
11位 | 鍵山 正和 樋口 豊 小塚 嗣彦 |
3回 |
14位 | 竹内 洋輔 | 2回 |
鍵山優真のコーチ・父鍵山正和が日本で初めて作った記録とは
父・鍵山正和コーチは、当時では誰もできなかった
「4回転ジャンプ」
の大技を日本で初めて決めた選手として有名です。
今でこそ「女子フィギュア選手」も4回転ジャンプを軽々決める時代ですが、
当時では本当に稀有な存在でした。
残念ながら練習で何回も成功させたけど、試合では飛べませんでしたが
フィギュア界のレベルを押し上げた功労者であることは疑いようがありません。
【鍵山優真のコーチ】父鍵山正和さんは病気を患っていた?
全日本ジュニア優勝、満を持して迎えた初シニア四大大陸選手権で3位入賞。飛ぶ鳥を落とす勢いでトップ選手へと駆け上がる鍵山優真くん。
一緒に父・正和さんをメディアで見るシーンも多くなっています。
そこで気になるのがコーチ・父正和さんの右手にある杖。
写真の通り、肌身離さず、右手に杖を持っているシーンが多く見られます。
〇左での拳をしっかり握っているシーンが多い
〇左手ひじの角度があまり変わらない
〇優真くんを褒める際はいつも右手
この事から視聴者の間で「もしかしたら正和コーチは左半身が不自由なのかな」と気にされる声も出てきました。
とはいえ、各大会では、鍵山優真くんのコーチとして毅然に冷静に選手を見守る姿は、一流そのものですね。